前田 利精(まえだ としあき)は、加賀大聖寺藩の第6代藩主。

生涯

宝暦8年(1758年)11月15日、第5代藩主・前田利道の次男として大聖寺で生まれる。宝暦9年(1759年)に長兄・利貞が早世したため世子となり、安永7年1778年5月25日に父の隠居により家督を継ぐ。しかし安永10年(1781年)、父が死去すると、遊廓に頻繁に通って女狂いとなり、無頼と交じって好き放題にふるまうなど、無法を繰り返すようになる。これら一連の行動に関して、家臣団は無論、本家の藩主・前田治脩も諫言したが、利精は聞く耳を持たなかった。

このため天明2年(1782年)8月21日、治脩は利精を「心疾」として監禁し、家督は利精の弟である利物に継がせた。寛政3年(1791年)9月15日に大聖寺で死去した。享年34。

系譜

父母

  • 前田利道(父)
  • 円成院 ー 加藤氏、側室(母)

側室

  • 敬大院 ー 西島氏
  • 恵遊院
  • 長泉院

子女

  • 前田利考(長男)生母は敬大院(側室)
  • 前田利純(次男)生母は長泉院(側室)
  • 前田利信(三男)生母は長泉院(側室)
  • 前田利竜(四男)生母は敬大院(側室)
  • 秀、生母は敬大院(側室)
  • 千 ー 松平直寛室、生母は恵遊院(側室)

養子

  • 前田利物 ー 実弟



前田精史ミュージアム

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