ロバート・アーニー・カスティーヨ・ジュニア(Robert Ernie Castillo Jr.、1955年4月18日 - 2014年6月30日)はアメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手。ポジションは投手(右投右打)。
来歴・人物
1974年にカンザスシティ・ロイヤルズにドラフト6位で指名を受け入団。ロサンゼルス・ドジャースに移籍後の1981年にはワールドシリーズの第1戦に登板したが、1イニングを投げ計5四球、押し出しで1失点という結果に終わっている。翌1982年、ミネソタ・ツインズに移籍し、いきなり13勝を挙げるなど活躍した。
1987年シーズン途中、シアトル・マリナーズを自由契約となって中日ドラゴンズに移籍。右オーバースローの本格派で三振を取ることより打たせて取る投球を身上とする。ストレート、スライダー、チェンジアップ、落ちるシュート、ムービング・ファーストボール、得意球はスクリューボール。郭源治、ゲーリー・レーシッチに次ぐ第三の外国人選手として期待された。背番号は前年に引退した谷沢健一が付けた41となった。2軍ではまずまずの成績を挙げたが、9月17日の最初の1軍登板では6回5失点で降板し味方の逆転により勝利、2度目の登板となる9月24日には5回5失点で降板した直後にロッカールームで自らのスパイクに火をつけて燃やし、すぐに消し止められたもののボヤ騒動となってしまった。他に原付自転車(スクーター)を運転中に事故を起こしたこともあり、結局このシーズン限りで中日を自由契約になった。2014年6月30日にガンにより59歳で死去した。
ドジャース時代のチームメイトだったフェルナンド・バレンズエラにスクリューボールを教えたのはカスティーヨだといわれている。
詳細情報
年度別投手成績
- 「-」は記録なし
記録
- NPB
- 初登板・初先発・初勝利:1987年9月17日、対横浜大洋ホエールズ26回戦(ナゴヤ球場)、6回5失点
背番号
- 41 (1977年 - 1979年、1987年)
- 37 (1980年 - 1982年)
- 22 (1982年)
- 37 (1982年 - 1985年)
脚注
関連項目
- 中日ドラゴンズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ボビー・カスティーヨ - NPB.jp 日本野球機構
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