富永 鴻(とみなが こう、1880年(明治13年)12月13日 - 1937年(昭和12年)5月15日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、長崎市長。
経歴
静岡県出身。衆議院議員・富永発叔の二男として生まれ、富永ひでの養子となる。第三高等学校を卒業。1905年、東京帝国大学法科大学を卒業。1906年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し台湾課属となる。
以後、鹿児島県事務官、兵庫県事務官、神奈川県事務官、同県港務部長、徳島県警察部長、宮城県警察部長、石川県内務部長、山梨県内務部長などを歴任。
1921年6月、佐賀県知事に就任。1924年7月、長崎県知事に転任。1927年3月に辞任し退官。長崎市長に就任し、1931年3月まで在任。その後、長崎商工会議所顧問、大日本人造肥料監査役を務めた。
栄典
- 1927年(昭和2年)4月21日 - 正四位
親族
父親の富永發叔(辰次郎,1833~1919年)は横須賀藩目付役・普請奉行等を経て、維新後民部省・工部省・三潴県・長崎県などの官吏を歴任し、明治35年に衆議院議員となった。
姉の計伊(銈)は園田孝吉の妻、もう一人の姉トシの子に河津暹。妻の愛は札幌病院長馬島讓の娘で、その兄馬島渡は北海道拓殖銀行重役、姉たちは宮内省侍医の田澤敬輿、農商務省特許局長の崎川才四郞、工学博士五十嵐秀助の長男などに嫁いだ。
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。


