ウィリー・クレイ・アップショー(Willie Clay Upshaw、1957年4月27日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ブランコ郡出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、左投左打)。
NFL選手のジーン・アップショー(プロフットボール殿堂入り)とマービン・アップショーは従兄で、同じくNFL選手のチャド・アップショーは息子。
経歴
1975年のMLBドラフト5巡目でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約するが、MLBに昇格することなく1977年12月5日にルール・ファイブ・ドラフトでトロント・ブルージェイズに移籍。1978年4月9日の対デトロイト・タイガース戦で、一塁手のジョン・メイベリーに代わり右翼手の守備に就いてMLBデビューを果たし、6回表の第2打席でジャック・ビリンガムからセンター前へMLB初安打を放った。1987年までトロント・ブルージェイズの主力打者として活躍。同じ時期のブルージェイズの一塁手および指名打者には、後にMLBで本塁打王となったセシル・フィルダーおよびフレッド・マグリフがいた。
1988年3月25日に金銭トレードでクリーブランド・インディアンスに移籍するが、物足りない成績に終わり、同年11月4日にフリーエージェントとなった。
1989年、MLBで2年連続20本塁打を放った実績を買われ、阪神タイガースとの争奪戦を経てNPBの福岡ダイエーホークスに入団(一方争奪戦に敗れた阪神はブルージェイズでチームメイトだったフィルダーを獲得)、門田博光に代わる主砲として期待される 入団1年目の1989年は33本塁打、80打点を放ってチームに貢献し、8月の成績は打率.326、9本塁打、19打点だった。2年目の1990年は同年から監督に就任した田淵幸一との確執、開幕から低空飛行で、7月に2度目の二軍落ち、そのまま途中帰国で退団した。
1993年から2年間テキサス・レンジャーズ、1996年から2年間はブルージェイズのコーチ、さらに2007年にはサンフランシスコ・ジャイアンツで一塁ベースコーチを務めた。
2014年には、8月19、20日の西武戦(福岡ヤフオクドーム)で開催するイベント「福岡クラシック2014」に、初代ダイエーOB助っ人としてトニー・バナザードと共に招聘を計画されていたが実現しなかった。
乱闘騒ぎ
1989年10月3日の対日本ハム戦(東京ドーム)にて、西村基史からの背中への死球に激高し、外野まで西村を走って追いかけ捕まえたことから、両軍がベンチから飛び出し、無関係のトニー・バナザードと若菜嘉晴が取っ組み合いになるなど両軍入り乱れての大乱闘に発展。結局アップショーは暴力行為により退場処分となった。これにより、連盟から制裁金20万円と2日間の出場停止を課された。
その後交代した日本ハムの金沢次男が藤本博史にインコースの球を投げたことで藤本が捕手の田村藤夫に激怒し、二度目の大乱闘となった際は、退場処分を受けたはずのアップショーがグラウンドに出ている姿が、同年のプロ野球珍プレー・好プレー大賞で流された。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1989年4月8日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、4番・一塁手として先発出場
- 初安打・初打点:1989年4月12日、対近鉄バファローズ2回戦(大阪スタヂアム)、1回表に山崎慎太郎から右前先制2点適時打
- 初本塁打:1989年4月13日、対近鉄バファローズ3回戦(大阪スタヂアム)、3回表に高柳出己から右越3ラン
背番号
- 26 (1978年 - 1987年)
- 20 (1988年、2007年)
- 7 (1989年 - 1990年)
- 46 (1993年 - 1994年)
- 28 (1996年 - 1997年)
脚注
関連項目
- テキサス州出身人物の一覧
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 U
- 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ウィリー・アップショー - NPB.jp 日本野球機構



