アール・ルイス・ランボー(Earl Louis "Curly" Lambeau、1898年4月9日 - 1965年6月1日)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイ出身のアメリカンフットボール元選手、元コーチ、球団創設者。
友人で同じグリーンベイ出身のジョージ・ホイットニー・カルフーンとともに、1919年にグリーンベイ・パッカーズを設立した(当初はアクミー・パッカーズといった。当時は独立リーグ。1920年にNFLに加入)。また、1919年から1929年まで、選手兼ヘッドコーチを務め、チームの運営を事実上コントロールしていた。現役時代のポジションはハーフバックで当時のプレミアポジション。チームの主力ランナーでありパサーでもあり、77試合で35回のタッチダウン(ラッシャーとして8回、レシーバーとして3回、パサーとして24回)を記録した。1929年には選手として唯一のNFLチャンピオンを果たした。
概要
ランボーは1919年から1949年までパッカーズのヘッドコーチ兼ゼネラルマネージャーを務めた。その間、チームで200勝以上を記録し、1929年から1931年までの3連覇を含む6回のNFLチャンピオンに導いた。現在、ライバルのシカゴ・ベアーズのジョージ・ハラス、ニューイングランド・ペイトリオッツのビル・ベリチックと並んで、最も多くのNFL優勝に導いたヘッドコーチである。ランボーはまた、プロフットボール殿堂入りを果たした8人の選手を指導した。クォーターバックのアーニー・ハーバーやスプリットエンドのドン・ハトソンなどの選手を擁し、アメリカンフットボールのパスゲームに革命をもたらしたと言われている。1949年のパッカーズ取締役との対立の後、パッカーズを離れ、シカゴ・カージナルス(現、アリゾナ・カージナルス)とワシントン・レッドスキンズでそれぞれ2年間ヘッドコーチを務めた後、1953年にコーチを引退した。
現在までにランボーの功績は広く認められ、表彰されている。ランボーはリーグ創設当初の10年間でトップハーフバックの一人として、NFL1920年代オールディケードチームに選出された。また、1963年にはプロフットボール殿堂入り、1970年にはパッカーズの創設者、選手、コーチとしての役割が認められ、グリーンベイ・パッカーズの球団殿堂入りを果たした。1965年の死後まもなく、パッカーズの本拠地ニュー・シティ・スタジアムは、ランボーに敬意を表し、「ランボー・フィールド」に改名された。
詳細情報
年度別成績
- 1929年度シーズン終了時
- 太字は自身最高記録
脚注
外部リンク
- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference (英語)
- カーリー・ランボー - Find a Grave(英語)




