1914年8月4日のイギリスの対独宣戦布告(イギリスのたいどくせんせんふこく、英: United Kingdom declaration of war upon Germany)は、第一次世界大戦劈頭、ドイツ帝国が対フランス攻勢のため中立国ベルギーに侵入し、軍を撤退させなかったためにイギリスが発した宣戦布告である。1839年に英仏とプロイセン王国(ドイツ帝国の前身)は、ロンドン条約を締結してベルギーの独立と中立を保証していた。
当時、イギリス政府は、植民地と保護国だけでなく自治領の外務にも責任を負っていたので、宣戦布告は大英帝国全体の扱いで行われた。
これによりイギリスは連合国の一員としてドイツなど中央同盟国との戦争に突入し、1918年に勝利した。
歴史
1914年8月3日、外務大臣エドワード・グレイは、庶民院でロンドンのベルギー公使館からもたらされた情報を発表した。グレイは、ベルギー当局から報せを受け、ドイツがベルギーに対して中立を保証する代わりにベルギー領内の自由通過を求め、拒否すれば敵とみなすと警告したと述べた。12時間の回答期限が設けられたが、ベルギーはドイツとの合意を交わさないつもりであるとも述べた。
1914年8月4日、イギリスの首相ハーバート・ヘンリー・アスキスは庶民院で以下のように声明を発表した。
8月5日、アスキス首相は、庶民院で以下のように述べた:。
同日の会議で、庶民院は戦争遂行のために、1億ポンド(2019年時点で103億ポンドに相当)の予算を決議した。
のちにウィンストン・チャーチルは以下のように記述している。
8月5日朝、植民地大臣Lewis HarcourtはCommittee of Imperial Defenceの小委員会の議長を務め、内閣に対してドイツの海外植民地の大半(ドイツ領東アフリカ、ドイツ領南西アフリカ、ドイツ領トーゴラント、ドイツ保護領カメルーン)を占領するための遠征部隊を派遣し、オーストラリアにドイツ領ニューギニアとヤップ島を占領するように求め、ニュージーランドに西サモアとナウルを占領するための部隊を派遣するように求めるべきであると勧告した。
関連項目
- 西部戦線 (第一次世界大戦)#1914年 - ドイツ軍によるベルギー・フランス侵攻
- イギリスによる宣戦布告
- 第一次世界大戦下の宣戦布告
- イギリスの対独宣戦布告 (1939年)
- アメリカ合衆国の対墺洪宣戦布告
脚注



